久留米つつじ誕生の歴史

久留米つつじの花は、開花期には可憐な花で覆われ、小形で鮮明な色調を持ち、白、赤、ピンク、朱、赤紫、紅などの多くの色があり、また、極めて多花性で、花形も変化が多く、八重咲きや絞りなど多くの品種があります。

江戸時代(天保年間)に久留米藩士の坂本元蔵がある日、自然に生えたコケの中に、ツツジの小さな芽生えをみつけ、コケまき法のヒントをつかんだと言い伝えられています。

その後、霧島と呼ばれるツツジを母体とした改良が人工的に行われ、その技術が確立されたのは幕末の頃です。これは久留米藩士の坂本元蔵の功績と言えます。 時代が変わり、明治、大正になると、多くの熱心な育種家により改良され、記録に留められた品種は750余に及び、現在は300数品種が残っていると言われています。


  • 江戸時代
  • 天保年間(1830年)
  • 久留米藩士の坂本元蔵は各地からツツジを集め、それらをかけあわせて種を播き続けた。その過程で「コケまき法」を開発し、同好の人々にその技術を教え、100近い品種を作りだした。
    石橋Shakkyo
    [石橋]
    Shakkyo
    坂本元蔵
    「久留米つつじ」生みの親
    坂本元蔵

  • 明治
  • 明治36年(1903年)
  • 大阪で開催された内国博覧会に赤司廣楽園が出品した錦光花(久留米つつじの古い呼び名)が観客から絶賛されたこと、当時が久留米絣の評判が高かったこともあり、その後、赤司廣楽園で「久留米躑躅(くるめつつじ)」という名称で売り出した。
    赤司喜次郎
    「久留米つつじ」育ての親
    赤司喜次郎
    不可思議Fukashigi
    [不可思議]
    Fukashigi
  • 大正
  • 大正7年(1918年)
  • アメリカの植物学者ウィルソン博士が赤司廣楽園を訪れ、優良花50品種の久留米つつじをアメリカに持ち帰り、その後それらの品種“ウィルソン50”が世界中に広まった。
     赤司喜次郎
    [長楽]
    Osaraku
     桜川sakuragawa
    [八重飛竜]
    Yaehiryu
  • 昭和
  • 昭和22年(1947年)
  • 現在の久留米市御井町に農林省園芸試験場九州支部が設置され、その後、花き研究室の研究者や園芸家等により久留米つつじの収集、保存、育成、特性調査等が行われ、300品種の久留米つつじが確認された。
  • 昭和32年(1957年)
  • 現在、久留米百年公園で開催されている「つつじ祭り」の前身である「久留米植木まつり」が明治通りで開催された。
  • 昭和38年~(1963年~)
  • 久留米市草野町に設置された「久留米つつじ生産組合」が繁殖施設(ミスト室)を整備し、苗木の生産とポット栽培が始められた。これによりツツジの大量生産が可能となり、施設拡張後の計画的生産に向けた普及宣伝活動が行われた。
  • 平成
  • 平成元年(1989年)
  • 現在の久留米百年公園において市制施行百周年記念事業として「世界つつじまつり’89くるめ」が開催され、ツツジ類(日本野生種・園芸品種、外国品種)約1500品種が収集展示された。

  • 平成2年(1990年)
  • 「世界つつじまつり」で収集した貴重なツツジ類を末永く保存育成し、久留米市における緑と花の産業拠点として積極的に活用を図る目的で「久留米市世界つつじセンター」が設置された。久留米つつじ、サツキツツジ、平戸ツツジ、日本野生種、アメリカ、イギリス、中国、ドイツ、その他のアザレアを展示。
    
												満開のアザレア温室(3月下旬)
    満開のアザレア温室(3月下旬)
    
												つつじフェア(4月中旬)
    つつじフェア(4月中旬)
    
												樹齢約400年の本キリシマツツジ
    樹齢約400年の本キリシマツツジ
  • 平成
  • 【久留米市世界つつじセンターの育成品種】

    平成12年(2000年)「紅かすり」を品種登録

    平成20年(2008年)「夢かすり」を品種登録

    平成26年(2014年)「花さより」を商標登録

    平成26年(2014年)「春の夢」を商標登録

    [紅かすり]Benikasuri
    [紅かすり]
    Benikasuri
    [夢かすり]Yumekasuri
    [夢かすり]
    Yumekasuri
    [花さより]Hanasayori
    [花さより]
    Hanasayori
    [花さより]Hanasayori
    [春の夢]
    Harunoyume