久留米つつじ ゆかりの人々

つつじ、さつきの主な栽培家

江戸時代末期に坂本元蔵が独自に始めたつつじの栽培と繁殖は、地元・久留米の熱心な栽培家たちに継承され、その過程では数多くの新品種が作出されました。

江戸時代(1830~1860年)

坂本元蔵
~坂本氏直系の門人~
 西尾与次右ヱ門、笠井理仲、山田市蔵、竹井 圓、三浦国衛、妹尾亀十郎
~上記の人と前後して功労のある人~
 安西茂八郎、小城庄蔵、本村次助、吉和道常、山口佐平、石田與右衛門、梯 謙次

明治初中期

寺島儀平次、中村昌三、牛島済民、中野勝次郎、小城八次、吉田幌長、岡本民治、蘇山広次、吉村長平、吉村利平、淵上弥八、下村兵太、赤司喜次郎、案納芳太郎、江頭徳次郎、緒方三吉

明治後期~大正

榊 直矢、中園村次、田中熊太郎、上月熊雄、竹島庄太郎、大坪弥作、中原庄吉、神代基臣、神代元吉、神代岩次郎、案納久太郎、辻本喜八、石橋徳平、案納安太郎、行武善蔵
~久留米から欧米へ広めた人~
 アーネスト・ヘンリー・ウィルソン

大正~昭和初期

笠 福太郎、石井熊吉、案納竹次、桑野 九市、桑野熊三、中原文吉、久富仙太郎、久富藤次、亀井松太郎、赤司勘三郎

「久留米つつじ」の生みの親 坂本元蔵(さかもともとぞう)

 坂本元蔵は、230年ほど前、久留米の武士の家に生まれました。元蔵は庭にある白や赤のキリシマツツジを見て、もっと様々な色の花が咲く新しい品種をつくり出したいと考えました。元蔵は、久留米の高良山や梅林寺をはじめ、遠くは薩摩(鹿児島県)まで出かけてツツジを集め、それらをかけあわせて種を苗床にまき続けました。
 毎年、いろいろな方法で根気強く種をまき、努力を重ねた結果、ある春の日、庭の石どうろう下のコケの中から、長い間待ち望んでいた新しい品種のツツジの芽が力強く出ていたのです。元蔵は、苗床の土にコケを混ぜて種をまき、新しい品種をつくり出す方法を見つけたのです。その後、元蔵は、200種類もの新しいツツジをつくり出し、今もいくつかは久留米つつじの優秀な品種として育てられています。

坂本元蔵の代表的な作出品種

小蝶の舞Kochonomai
[小蝶の舞]
Kochonomai
位の紐Kurainohimo
[位の紐]
Kurainohimo
石橋Shakkyo
[石橋]
Shakkyo

「久留米つつじ」の育ての親 赤司喜次郎(あかしきじろう)

 赤司喜次郎は、170年ほど前、久留米の東町に生まれました。後に、村長になりましたが、農業をさかんにしたいと、村長をやめ、農業を始めました。
 農業をしながら草花も育てていた喜次郎は、特に、坂本元蔵がつくり出した久留米つつじの品種の多さや花色の美しさにひかれ、「久留米つつじを育てて売ることは、久留米の大切な仕事となるにちがいない」と思い、赤司廣楽園という会社を作って、花づくりに力を注ぎました。
 喜次郎は、温室で花を育てたり、外国から種や苗を取りよせたりして、次々と新しい花をつくり出しました。また、新しい品種の作り方を印刷して全国に配ったり、多くの人に教えたりしました。さらに、喜次郎は、今から100年以上も前に、カタログを作って、通信販売を思いつきました。喜次郎のアイデアと努力の結果、久留米つつじは久留米を代表する花になり、国内外に広く送られるようになりました。

赤司廣楽園の代表的な作出品種

小町Komachi
[小町]
Komachi
不可思議Fukashigi
[不可思議]
Fukashigi

欧米に広めた アーネスト・ヘンリー・ウィルソン

 アーネスト・ヘンリー・ウィルソンは20世紀初頭に活躍したハーバード大学アーノルド樹木園(マサチューセッツ州ボストン市)のプラントハンターです。ウィルソンは1914年(大正3年)に、シダ植物、つつじ、桜を収集する目的で来日しました。そのとき、東京幡ヶ谷の園芸店で久留米つつじを初めて目にします。その後、1917年に横浜植木株式会社で「傘作り」に仕立てられた久留米つつじをみて、久留米つつじ発祥の地をぜひ訪れたいと思うようになりました。この希望は1918年に叶い、赤司廣楽園(久留米市東町)を訪問することになります。ウィルソンは赤司廣楽園で250以上の久留米つつじ品種中から50品種を選び、買い付けました。これらの品種は、翌年アーノルド樹木園に無事到着し、久留米つつじの展示会が開催されました。これら50品種の久留米つつじは、程なくアメリカで人気となり、さらにヨーロッパにも輸出され、西洋に広がりました。ウィルソンが持ち帰った久留米つつじ50品種は、日本のつつじが欧米に広まるきっかけとなったことから、欧米のつつじ愛好家や研究者の間で「ウィルソン50」と呼ばれ、特別なつつじ品種として扱われています。

「ウィルソン50」の品種

青海、暮の雪、新青海、万代、難波潟、丹頂、初被、以呂波山、鳳凰、酔楊妃、高砂、霞ヶ関、美人酔、朝霞、君ヶ代、吾妻鏡、長楽、乙女、綾の冠、新鴇の羽重、早乙女、麒麟、玉芙蓉、桐壺、思寝、老の目覚、桂の花、新台、雲の上、紅筆、菅の糸、重篝火、蔦紅葉、末摘花、筆捨山、今猩々、羅生門、若楓、八重飛竜、位の紐、総角、日の出霧、相生、桜司、玉の台、御所桜、浮む瀬、日の出の鷹、長楽実生、花遊


									玉の台Tamanoutena
[玉の台]
Tamanoutena
長楽Osaraku
[長楽]
Osaraku
八重飛竜Yaehiryu
[八重飛竜]
Yaehiryu
高砂Takasago
[高砂]
Takasago

「桑野交配つつじ」品種群を育成 桑野 九市(くわのきゅういち)

 久留米地方で有名なつつじ業者の一つである桑野養盛園は、久留米つつじとさつきつつじとの交配から作出される「桑野交配つつじ」と呼ばれる品種群の育成に力を注ぎました。おもな育種目標は、1)久留米つつじとさつきつつじとの端境期である4月下旬~5月中旬に咲くこと、2)久留米つつじにはない底白の花、でした。初代園主、桑野九市氏は、大正7年から交配を始め、昭和23年に没するまで、国華、雪牡丹など約30品種を発表しました。昭和26年に引き継いだ孫の武夫氏は、朱雀、明日香など約20品種を発表しました。
 当センターでは、桑野養盛園が閉園したとき、育成品種と選抜実生を譲り受けました。久留米で活躍したつつじ育種家の選抜段階から品種までがまとまって保存されているところは他になく、久留米地方のつつじ品種改良レベルの高さを示す貴重なコレクションとなっています。

手書きの記録『さつき名集』桑野養盛園

手書きの記録『さつき名集』
桑野養盛園

『桑野交配つつじ《クルメツツジ×サツキ》品種一覧表』昭和51年10月

『桑野交配つつじ《クルメツツジ×サツキ》品種一覧表』
昭和51年10月

桑野養盛園の代表的な作出品種

白萩Sirahagi
[白萩]
Sirahagi
桃泉Tosen
[桃泉]
Tosen
秋月Akizuki
[秋月]
Akizuki